追夢人の手作りランプとブログ

可愛らしい空き瓶に小さな電球、レディメイドの小物やフィギュアを組み合わせて、ファンタスティクなミニランプを手作りしています。ここでは、そのほかの事も思いつくままにとりとめなく書いてみたいと思っています。

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2011.08.26 Friday

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    2009.03.06 Friday

    カムフラージュとしての評価制

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      カムフラージュとしての評価制

      これは事実ということではありません。ただの視点です。

      いくつもの評価のための基準が羅列され用意されている。
      どれも抽象的だけれど、誰でも聞き覚えのある言葉だ。
      それぞれ短い簡潔な説明文もついている。
      多種多様な評価制の詳しい解説書は書店の棚にも並んでいる。
      真剣に読む者は少ない。読んでも直ぐに理解するのは難しい。
      ある程度、理解できても、その評価基準をその会社へ適用することが、妥当なのか、そこまでは専門家でなければ判断しがたい。

      評価担当たちは一所懸命とり組んでいる。
      その方法を採用した評価する側を信用するしかない。
      自己評価とのくいちがいに納得できなければ抗議はできる。
      面談の機会ももたれる。評価担当から丁寧な説明がある。
      人間に100%を求めるのは無理だから、適正さの確保のため多少の調整があるかも知れない。ガス抜きされるくらいに。
      信用できなくても評価されることは拒めない。

      しかし、評価される側にとっては、ほんとうに適正に評価されるかはブラックボックスだ。
      評価基準を明示され、詳しい解説書つきで説明が行われ、評価基準に基づき適正に評価した結果として示されても、それと全く関係ない恣意的な結果だとしても、実際問題、わからない。
      カムフラージュだとしても、評価基準を用意して、実際にそれに即した巧妙な評価行為を周到に行って、評価担当者は適正に行われたと当然の如く偽証するだろうから、おいそれとは覆せない。
      カムフラージュなんて、証拠に基づいて証明できなければ、ただのいいがかりだ。普通、そんなことは誰も口に出せない。

      そもそも、そういうことを目論む人間の存在には視点が向いてない。

      JUGEMテーマ:日記・一般

      2011.08.26 Friday

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        本は著者との会話
        私が読む本は、ほとんど専門書ばかり。著者が誰とかいうのは、基本的に二の次の情報だったりします。が、先日、私の友達が言ってました。「本は著者との会話だから、その人の世界観が理解できなければ、理解しなくていいし、共感できれば注目すれば言い。」言葉の意味は
        (書店は私の図書館!本を買おう。 2009/03/06 4:52 PM)

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